松屋酒店

創業 祖父、山下松蔵が昭和初期に現在地、市川市真間2−3−11から300メートルくらい離れたところで
借地、借家して開業した。昭和8年に現在の場所に土地を購入し、自宅と店舗を併設するために移った

祖父は商売がしたくて神田で丁稚奉公から身を起こし、
のれん分けというか資金を少し援助してもらい開業したと聞いている。
水はけの悪い土地で蓮の畑があり周りに何もなく家から市川駅が見えたということでした。
昭和8年から数えて今年70年目にあたり、市川でも5本の指に入る酒屋ということです。

創業前後の大きな出来事 市川の南口の方に北越製紙ができて
その社宅のほうに、勤務の3部交代制とか2部交代制だったので
その時間に合わせてご用聞きにいった。
夜も暗くなって提灯もっていったとか聞いています。
発展 
創業時は祖父の気持ちで一生懸命やって広げていく時代で、
従業員も7,8人いた。戦後の父の代です。

父は中央大学を出て明治乳業に入ったのですが祖父が店を継がせたくて
会社をやめさせたので、あんまり商売に乗り気ではなくて、
それまでのお客さんをなくしていったり、蓄えもなくして、
だいぶ厳しい状態であとを継いだわけです。


もっとも父は、家業のほかに酒、たばこ、塩などの組合の専務理事を務め、
また税務署への青色申告の指導などをやって商店街のために尽力しました。
私になってからは、苦戦苦難の連続で何とか普通に一生懸命やっていれば
越えたのだと後から考える感じでした。
その場その場で前向いてやってきたということだけです。
生き残るためというのは自分と家族のためでもあるし、
ひいきにくださっているお客様のためでもあるし、
お客さんを裏切らないという気持ちだけです。

しかし今は苦しいです。今は酒屋だけではやっていけないので
ほかの仕事もしている状況です。運送の方は、
船橋の丸文運送の傘下でコンピュータ、
建築資材から血液の検体まで何でもやっています。

昭和63年に改築、改装して小さなコンビニぽい店にした。
もう一つこれから先は酒屋だけではやっていけないということで、
裏に1DK6戸のアパートをつくった。
そのとき店も住居も第一種住居専用区域ということで
事務所入れて15坪以内と仕切られていて
商売するにも中途半端な大きさなので、
品揃えも昔はコンビニのように品数をそろえていたのですが
最近の不景気で食品、お菓子でも賞味期限があり、計算するとロスが大きいので
売れ筋商品を重点にして、間に合わせになればよいという程度にしか置いてない。
重点商品 
大手のお酒より小さな酒蔵で日本古来の酒、
純米酒を取りそろえていきたいと思っています。
とりあえず自分が飲んでみて自信が持てるものをすすめることにしています。

銘柄でいうと石川県の「天狗舞」で山廃純米が好きです。
腰があって冷やしてもグラスに氷を入れておいしいです。
あと焼酎も泡盛、麦焼酎、米焼酎とか特徴あるお酒を
お客さんに紹介したいという思いでやっています。ワインも少し置いています。
500円台のフランスの「王様の涙」がおすすめ品です。
これから中をもう少し酒屋っぽいかたちに改装していきたいと思っています
お客様に対する気持ち
 感謝の一言です。商売というのは品物売ることだけでなく、
自分の人柄も売っていると思うのでお客様に愛想をつかされないように、
あの人はよくやってくれているのだな
と思っていただきたいという気持ちがあって、とりあえず私を認めてほしいという気持ち、
あのひとに相談すれば何とか答えてくれる信頼感を築ければと思っています。

酒屋というプライドはもって、その上にちょっと病院連れてってと気軽に声をかけられる、
あそこの家は何でもやってくれるよ、気軽に動けるおじさんになりたいと思っています。
昔からのお客様が多いです。うちの方は屋敷町みたいなところなので、
大きなお宅に老夫婦2人きりで息子さん方は都心にマンション買ってでておられるとか、
購買力がない。

アパートに住んでいる人にしてもコンビニで買ってきたり、
スーパーでおかずの準備と一緒にちょっとなんぼか買ってきておしまいになってしまう。
今のままでは先行きは計算できないなと思っています。

お店のレイアウト 
改装するときにいろんなコンビニを回ったりして工夫し、
雑誌とか、食品は置いていませんが、品揃えはコンビニに近い感じで
ぐるっと中を見て回れるかたちにはしています。

商店街のイメージ 
大門会に所属していますが、商店街のはずれで3軒しかない。
しかし全体的に見ても暗くなってきている感じです。
お客様が足を止める場所でなく通過する場所になっているような感じです。
商店街の行事には6月と11月のバザーに参加しています。

6月は生ビールとワインの試飲販売会、11月は豚汁、売り切れたあと
その鍋でお燗をしたお酒を出してこともあります。
お客さんとの顔つなぎが必要なので祭事に力を入れているわけです。
酒とかこういう商売がだんだん悪くなったのは、
缶ビールとかパックのお酒とかになって
一方通行になってしまって、ただ売るだけになってしまったことに原因がある。
空き瓶があると空き瓶を引き取りに参りましたと交流があるのですが
それができなくなってしまったことです。
リサイクルで瓶が復活すればと思います。
環境問題
空き瓶、空き缶は業者と契約していて引き取ってもらっている。
段ボールなどはたまったらクリーンセンターまで
持っていくというかたちを取っています。

商大生に一言 
関係なく無駄でも何でも動けるのは学生時代しかないと思います。
仕事はじめて家族持つと、ちょっとやってみたいなということでもしがらみがでてくるので、
学生時代はリスクを恐れないで動いてもらいたい、経験してほしいなと思います。

商店街の方も大分協力していただいているし、ソフトカーにしても真間という名前を売っていただいているのでもらっている。
学生は学生、住民は住民、商店は商店ということでなく本当に地域に密着していろいろなことで交流がでてくれば
もっと学生さんに対する認識が違ってくるし、ちょっとでもつながりがでてくればいろんなことを教えてあげたり、
また教えてもらったりという交流が生まれてくる。そうして世代を超えて
自分の知らない世界を分かち合えるような感じになればよいと思います。(3代目 山下さんにインタビュー

(2002年11月19日 山下雅司さんにインタビュー)

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