芙 蓉 亭

ここに書かれているのは、当店の歴史を掲載したものです。
現在のお店の状況や取扱品目等とは
異なる場合があります
ので、あらかじめご承知おきください。
なお、最新のお店の情報をお知りになりたい場合は、
お店までお問い合わせください。

創業 昭和35年11月、初代、山口正平さんが真間4丁目4−5で開店した。
芙蓉亭の屋号の由来は、初代が「芙蓉」という料亭で
働いていたことから名前をゆずってもらい、今の芙蓉亭とした。
創業当時は、うちから上(北)はまだ舗装されてなかったし、
真間川の土手には桜並木があってすごくよかった。
また浮島弁天も橋の下側にあり風情があった。(今は消防署の脇に移っている。)
大きな事件 1月に三井三池鉱で解決まで282日に及ぶ大争議が始まった。
また10月には社会党の浅沼委員長が刺殺されるなど暗いニュースがあったが、
魚より肉や牛乳へと食生活の洋風化が定着し、
テレビはカラーへの兆しが始まった年でもあった。 
軌道に乗るまで 初代と二代目と姉の3人で始めました。
この界隈では中華料理というのはうち1軒でしたから
その当時は日本人には中華料理に対する認識が少なかったため
皆さんに知ってもらうまで1年くらいは苦労しました。
しかし名前が売れ始めてからは忙しくなった。
お昼時には多いときには学生さんが300人ぐらい入ったので
25,6席の椅子に座れないで立って食べていたほど盛況でした。
学生さんはカレーライスが多く、次は湯麺・餃子でした。
この前は、奥さんにカレーを食べさせないとルーだけ買っていった人がいた。
結構変わってないなといってくれる。
しかし大学に学食ができてからは学生さんはめっきり減りました。
たまにその頃食べていた人が来て湯麺・餃子を頼んだりしますが、
結構変わってないなといってくれます。
今となっては、創業当時からガンコに味を変えなかったことで
今の芙蓉亭があるのだと思います。 
現在地に移転 昭和55年秋に現在地、真間4丁目5−2に移りました。
三代目の抱負 敏彦さんは、高校を出てから11年間、
陳健民のお弟子さんのお店、豊橋市の四川飯店で修業した。
違った料理もやってみたいという気持ちからたまたま話があって、
1年間フランス料理をやった。その後の3年のイタリアは、
もともと中華料理以外の料理も頭に入れておきたいと思って
どうせやるなら現地に行ってと考えて、イタリアのフィレンツエに行った。
日本に戻り、平成15年10月から後継者としてお店に戻ってきた。
「イタリアで学んだことと、今までの中華料理の経験をもとに、
この真間で新しく楽しい食文化を築き上げて行きたいと思います。」
と抱負を語っています。

レイアウト 夏にお店の奥のエリアを改造しました。
今は、なかなか大きい宴会などが入ってこないので、
仕切りをして目張りすれば、少人数のパーテイ、
10人単位の小宴会ができるようにしました。
2階の宴会場は、畳でみんなが座って15人から30人のスペースがあります。
20名前後がちょうどよいと思います。
お寺が近いので法事などでよく使われています。
品揃え(三代目) 広東料理をベースとした昔ながらの中華料理です。
宴会や弁当の注文では、予算の範囲で中華料理だけでなく、
要望があればイタリア料理、創作料理も入れていくようにしたいと考えています。
お客様の層 平日の昼は、職人さんなどこの界隈で働く人たちが
多く来店してきます。基本的には出前が主になっているのですが、
土、日、祝日などは、家族連れなどが比較的多く注文をとってくれます。
お客様への対応 おいしかったといってもらえること、
気持ちよくかえってもらえるように心がけています。
働いている側が堅苦しくない人たちなので、
入ってきた人にその空気がお客様に伝わってくれればよいと考えています。

今後の展望(以下、三代目) 基本的には、大勢の人にもっともっと
芙蓉亭を知ってもらいたいと思います。この辺は地域密着型なので、
地域の人たちにどれだけ認めてもらえるか、
45年かけてこれだけ築き上げているものを守っていかければならない。
今まで変えてこなかった勇気と今度は変えていく勇気も必要で、
今のメニューの中で新しく開拓して変えていく部分と
残していく部分を考えていきたいと思います。
やりたいことでいえば、いろんな料理で勉強させてもらったので
引き出しの多さを出す場を作らねばならない。
中華料理という中で自分が経験したフランス料理とか
イタリア料理が出せればと思っています。
宴会では、値段がこれだけという設定の中でメニューも
決められるのでパスタだとかいろいろな料理、
多国籍の創作料理的なものをお客さんの
要望にこたえて出していきたいと考えています。

商店街のイメージ 私が子供の頃は、何でも揃っていた通りだけに、
正直、今は、閑散とした商店街になっています。
でもこの10月の手児奈祭りで、真間本通りを歩行者天国にしてたくさんのお店がでて、
人が集まったイベントは街の活性化のいう面では意味があると思います。
いろんなイベントを組んで、来月はこれがある、
年に一度は大きなことがあるというようにここに住んでいる人たちを
あきさせない街にしていきたいと思います。

情報発信 これからは、もっと認知度を上げたいと考えています。
インターネットにしろ、大きくいえばTVのCMにも出て、
っともっと知ってもらいたいと思います。今まで何もしてこなかったので、
これから小さいことからこつこつと、何らかの機会を見つけて
お店を知ってもらいたいと思っています。
環境問題 私が小学生くらいのときに比べたら、今の方が良いと思います。
もちろん、今の環境が良いと思いませんが、長いサイクルでの環境問題は、
少し人を遠ざける方向のような気がします。
例えば、家の中での掃除でもWスグにキレイWになることをやれば、
やったことの実感はあるはずです。環境問題も同じように
WスグにキレイWにすることをやってみてはと思います。

商大生に一言 基本的には自分たちの学生時代と変わっていないと思いますが、
今の人たちにもっと食べるということに対しての楽しみ方を理解してもらいたい。
この店をそういうことの情報発信源にしたいと思っている。
何かわからないことがあればうちに来てもらえば僕の話せる範囲であれば
お話したいと思っている。やっぱりご飯食べないとやる気もおこらないし、
いざというときに力も出ない。 

千葉商大に期待すること 大学周辺の地域の活性化について大学、
学生全体でもっと盛り上げてもらいたい。いざやるとなれば僕たちニ代目、
三代目に声がかかると思うので一緒にやっていきたい。
いい意味の若さで大学生に期待したい。
傍白 初代の正平さんは、引退され、現在は二代目の八郎さんが切り盛りをされている。
インタビューの前半は、八郎さん、後半は三代目の敏彦さんに聞かせていただいた。
敏彦さんは、中華料理だけでなく、フランス料理、イタリア料理も経験され、
昨年、フィレンツェから帰国し、将来、芙蓉亭を継がれることになった。
今後、ヨーロッパの食文化を宴会のメニューの中で多国籍の創作料理として
表現、提供していただくことを期待したい。
フィレンツエでは次のような経験をされている。
最初の1年間は、たまたま飛び込んだ「イル・チブレオ」で一人かけたからいいよと
いうことで働きはじめ、言葉もわからないし、伝もなかったので戸惑うばかりで、
最初の3ヶ月くらいは給料も出ないし、食べていくのがやっとだった。
徐々にだんだん言葉が話せるようになって、
仕事も認められて勉強させてもらった。
それから半年ぐらいいろいろなところを回って、
後の1年半は、トラットリア(大衆食堂)に料理長としてきてくれないかと
話があって日本に帰るまで最後まで勤めあげたとのことです。
また学生さんにももっともっときてもらいたい。
どの程度おなかがすいていて、どんなものを食べたいのかがわかってない中で、
お店に入ってもらい、食べてもらうかという、ひきつけて引き止める難しさもある。
たとえば中華パンにブタの角煮をはさんで小しゃれた容器に入れて、
ソースもいろいろ用意して、100円を切るような低価格で、
歩きながら食べてもらうものをつくってみたいと思っている。
イタリアは食事を時間をかけて楽しむという文化がある。
日本にもあることはあるが、持ち合わせている分が表現になっていない。
恥ずかしいとかいうか、それをわかってそういう文化を
引き出してもらえるような店づくりをしたい。 

(2004年10月16日 二代目、山口八郎さんと三代目俊彦さんにインタビュー)

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