東  屋

ここに書かれているのは、当店の歴史を掲載したものです。
現在のお店の状況や取扱品目等とは
異なる場合があります
ので、あらかじめご承知おきください。
なお、最新のお店の情報をお知りになりたい場合は、
お店までお問い合わせください。

創業 出身は千葉県勝浦市。昭和39年に市川へ越して来て、
翌40年秋、30歳の時に魚屋を出店した。とにかく魚が好きだったし、
義兄が築地で仲買をしていた関係で、業者さんとのつながりができた。
さらに表の魚屋さんとも知り合い、素材を加工して提供する仕事も面白いと思い、
現在地・真間4丁目に店を出した。
プロとの対話も大事だけど、魚屋の真髄は表にあるのではないか、
消費者との対話やつながりが一番面白いと思って開業したわけです。

大きな事件 前年の東京オリンピック開催や
東海道新幹線開通などの余韻を残して始まった昭和40年。
しかし、3月には高度成長時代の終わりを象徴する山陽特殊鋼の
大型倒産、5月に入り、パニック回避のために経営悪化した
山一證券の無期限・無制限の融資決定など、
戦後初めて日本経済が陰りを見せる年になった。
軌道に乗るまで 開店当時、真間4丁目の北側は田んぼだった。
現在の通りには、魚屋さん、八百屋さん、肉屋さんの生鮮3品、
ほかに下駄屋さん、呉服屋さん、駄菓子屋さん、貸し本屋さん、
甘味処もあって、商店が賑やかで、人情味もあっていいものでした。
その頃、ナショナルがコタツを売るようになった。
天下のナショナルが、コタツ屋さんがあるのにも関わらずコタツを売るということは、
相手に迷惑をかけなければ何をやってもよいものかと考えた。

すぐそばに魚屋さんがあるのに、その並びで魚屋をやることは、非常識だった。
商売としての戦いもある。それで違うスタイルの魚屋、高級魚を扱うことにした。
まず売れなかった。残ったものを捨てる毎日でした。
あそこの店は高い!市川で一番高い魚屋!ということになってしまった。
ちなみに、本マグロ一人前4000円、安いものでも赤身・中トロ一人前2500円、
切身魚が一切れ600円〜1200円。それでも安くするとか、
残ったものを人に差し上げるとかはしなかった。

とにかく、いい素材を提供することを心がけました。
甘鯛、鯛、ヒラメなど高級魚のプライドを傷つけてまで
二束三文でさばくことは魚に申しわけない。
そんなことで、ずーっと赤字が続きました。
しかし段々、あそこの店はいい物を売っているという評判になっていった。
惣菜屋としての再出発 

平成16年7月、魚屋をやめて惣菜屋に変わった。
私は魚を追及しました。世間では関サバといいますが、
八戸のサバが一番。イカは北海道、青森。脂ののりが違います。
それと、魚は一晩置かないと美味しくならない。
生簀(いけす)で泳いでいる魚は、点滴を受けて生きているようなもので美味しくない。
いい魚の見分け方として、目が透き通っていて、ピカピカ光っているのがいいとか、
よくテレビでやっていますが、これも素人判断。口では上手く言えませんが、
人間でもお金があって、いい家に住んで、ブランドの服を着てといった外見ではなく、
ボロを着ていても中身が違う、心の持ち方が違う。
それが魚にも通じるところがあると思います。
私は江戸時代が好き。"だべり(おしゃべり)"の世界から生まれた
江戸文化が大好きで、この5坪の店で"おしゃべりの場"を提供してみようと考えた。
食べ物屋と屏風は広げたら倒れる。欲張らず、
この小さなスペースでそれをやってみたかった。
この前、6人のおばあさんたちがみえて、全員で515歳、平均年齢86歳。
おにぎりや惣菜物を食べて、楽しくおしゃべりして、裏のお寺さん(亀井院)の
月に一度のお題目に出かけて行った。
ここは朝夕6時になると真間山の鐘がなり、お寺の読経が聞こえてくる。
こんないいところはありません。
ここに皆が集まり、おしゃべりしていける場になればと思っています。

レイアウト この小さな椅子やテーブルは骨董屋で見つけてきました。
大きな椅子やテーブルを置いたら人数が限られる。
一人来たら一つ椅子を出す。もう一人来たらまた一つ出す。
狭いテーブルに小さな椅子が、どんどんどんどん増えてくる。
開店披露の時は、ここに30人も入りました!

品揃え 色んなことをやってみようと考えています。
お惣菜屋をやろうと決めた時、色んな店を見て歩きましたが、
パターンが皆一緒。同じものをやっても結果はダメ。
やはり自分で考えてやる。それと味に魂が入ってないとダメです。
押し寿司、おにぎり、煮つけなど、秘伝の味を娘に伝授しているところです。
毎日15キロのアサリを剥いて、煮て、佃煮を作っています。
「おいしい」といってお客さんが戻ってくる。それが感動です。
お客様への対応 私は加工したものを買ってくるのが嫌い。
一からやらないと気がすまない。干物も開いて干して、自家製です。
目から火が出るほど儲かるものではありませんが、
お客さんの「おいしいね」という一言、これですべて納得です。
相手に響くものを提供する、これが商売の秘訣だと思います。
焼き物は、お客さんが来た時に焼いてあげる。
そして、待っている間にお話をする。それでコミュニケーションができてくる。
これが大事と考えています。
商店街のイメージ とにかく人が来ないとだめ。
閑古鳥さえも飛んでいません。昔は無尽で月に一回、集まりがあった。
三人よれば文殊の知恵。とにかく月一回でも集まって、
くだらないことでもいいからしゃべる(だべる)。
こういうところから文化が生まれてくる。それと、一個人ではうまくいかない。
組織がないとうまくいかない。バックボーンに千葉商科大学がついてくれればよいと思う。
また、6500人の商大生が真間の商店街に足を止めてくれるようになればと思っています。

環境問題 ここ市川は、道路事情が悪すぎる。
まず人間ありきですよ。歩く場所がない。近くに真間小学校もあります。
せめて子供たちの通学時間だけでも、車を通行止めにするべきだと思います。


商大生に一言 

プライドを持って生きてほしいと思います。しかし、プライドがないのも、またいいのかもしれませんがね。
何でもやる、挫折したときに強い。世の中で強く生きていけるのかも知れません。



傍白 喜三郎さんは、ジャズが好きで、今までに40回くらいイベントを企画・運営。
日本で初めて、お風呂屋でジャズ・コンサートをやった。
真間小学校の裏にある『ふもと湯』で、銭湯だから"セントルイス・ブルース"と題し、
風呂場はビンビンに音が響くから"カーネギー・ホール"と称したとのこと。
修業中の娘・亜希子さんは、ニューヨークで10数年、マスコミの仕事をしていたが、東屋を継ぐことにしたとのこと。



(2004年9月5日 店主・斉藤喜三郎さんにインタビュー)

東屋の営業欄へのリンク