ここに書かれているのは、当店の歴史を掲載したものです。
現在のお店の状況や取扱品目等とは
異なる場合があります
ので、あらかじめご承知おきください。
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創業 昭和2年5月:有賀重吉が真間2丁目で「八百重」の屋号で生活のため八百屋を開業
祖父の連れ合いが八百屋からお嫁にきていた関係で傍目にみており、
唐突なことではなかった。家は長野県の諏訪の出身で徳川の末期に船橋に移ってきて金銀をちりばめた馬の鞍を金沢から職人を呼んでつくり、船橋で成功を収めたという。





創業 
昭和2年5月、先代、有賀重吉が真間2丁目で「八百重」の屋号で青果業を開業した。
家は長野県の諏訪の出身で徳川時代の末期に船橋に移って来た。
馬の鞍の販売をし、成功を収めた。
当時の鞍は美術品であり金沢から職人を招き、また移入を行ったそうである。
祖父は馬車の轍製造の仕事を業としていた。
祖母は青果店から嫁に来ていたので
手っ取り早い商売ということで先代が市川で開業した。
創業当時は田んぼ、畑等がたくさんあり,湿地帯、池もあった。
商店はほんとうに少なかった。

当主の経歴 私は2代目の有賀です。
昭和2年津田沼で生まれ、その年当地に移り住んだ。
最初貿易商を夢見て府立第三商業学校に入学した。
途中第二次世界大戦が起こり軍事教練、
学徒動員(軍需工場出向)等があり大変な時代であった。
昭和19年卒業と共にに市川の東京精錬(株)に入社、
現場監督として終戦まで勤めた。終戦で復員してきた父と共に青果の道を選んだ。
当時は経済警察の取締りが厳しく非常に苦労した。
昭和28年に大門会の役員になり、昭和40年に同会会長に就任、10年間務め、
後継者にゆずると共に真間商店連合会会長に就任、現在にいたっている。


(注)真間商店連合会は、昭和35年に大門会と大門通り会の2商店会で出発し、
昭和40年頃、手児奈橋通り会、真間本通り会を加え、
4商店会で結成、現在に至っている。

発展 市川は関東大震災、また東京大空襲の後に人口が急激に増えた。
大正時代に国府台に大学設立の話があったが当時は鉄道もなく、
また市川橋もなく通学に不便との理由でできなかった。
その後、軍隊が次々と入り、国府台、真間地域の発展につながった。
当時は小料理屋さんカフェなどがたくさんあり、活気にみなぎっていた。
日曜日には真間さんの石段に茶店がニ軒あり、軍人との面会でにぎわった。
当時は大門通り入口付近が市川の中心であり、
わが大門会も昭和10年に最初の商店会の名乗りをあげた。
私の店の前に風呂屋が開業し、夜遅くまで人通りがあった。
当時は家庭には風呂がなくほとんどの人が入浴にきた。
自転車にまたがったままでは通行できず、昼時や夕方は商店の前は行列ができ、
すり、引ったくりなどの被害も出たくらいであった。
手児奈さんにも安産を願う参詣者で賑わい,参道の茶店がたくさんあった。


春,秋のお祭りには遠く成田あたりからも安産講の人が来た。
また当時は生活様式が今と違っていたこともあり、お店の数は多かった。
桶屋、竿屋、木工所、ブリキ屋などがあった。
近隣のお百姓が東京の市場に荷を持っていって帰りに
国分などを通っていくときに買い物をしてくれた。
また昔は結婚式、葬式など冠婚葬祭は家庭でやっていた。
村中集まってやったもので、商店街にきて買い物をしていってくれた。
一時は自転車に乗って通れないので車を降りてとおるほど買い物の人でにぎわっていた。
現在の商店街は大型店の出現によりお客様のニーズの変化等々、苦戦を強いられている。


交通 1887年、軍隊の移動のために交通の便として武総鉄道会社が創立され、
市川―本所(今の錦糸町)間が開通した。1904年、市川橋ができ、交通状況がよくなった。
その後、京成電鉄が走り、市川は別荘地として注目を集めた。

品揃え 
商業会議所の商工振興委員を長年やっており、
商業の動きが一般の商店より察知できました。
コンビニエンスストアの台頭、大型店の規制緩和により、
店舗の改装と業態を変化させるため10年前に鉄筋コンクリート3階に立替えた。
品揃えの重点は、野菜と果物で、それに加え乾物類、
牛乳とパンなどの日配品に、魚、漬物類など日曜食料品全般を置いている。
ワン・ストップ・ショッピングを目標に、
人より早く市場に行きお客様に合った商品仕入れに全力を注いでいる。

お客さんとの関係 品物はよいものだけ置くことにしている。
またお客さんをお名前で呼ぶように努力している。
今日はこんなものがありますよと丁寧にお教えして
お客さんとのコミュニケーションで長く相対関係を続けていくことを心がけている。

商店街のイメージ
 今、ため息がでるくらいにやめられてしまって商店が減っている。
商店街に行けば必需品を全部買うことができる。これが今までであったが、
現在はお客様の商店会に対する魅力がないと思います。
真間商連としてイベントを通じ、今より商店街離れを防ごうと思っております。

環境問題 生ゴミはゴミ屋と年間契約をしている。
段ボールは市場で処分をしている。


今後の抱負 昔の繁栄に少しでも近づけたいと思っている。
商店街が再生しなかったら日本経済も生き返らない。
若い力、感覚をどんどん反映するようなことを何でもやってもらいたい。
W杯の覇気を日本経済に 日本の繁栄は君たちの肩に

商大生に一言
若い風を入れてもらおうと思ってイベントに参加してもらっている。
私たちの考え方はもう古い。若い人の考えを入れて新しい街づくりをしてもらいたい。日本の繁栄は君たちにかかっている。

インタビューの様子をムービーでご覧になれます。
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5MB 124kbps

(2002年7月13日 真間商店連合会会長 有賀秀夫さんにインタビュー)

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